受験シーズン真っ只中、
そして、学校を卒業して就職していく そんな枝分かれ時期がもうすぐ
なこんな時期。 私がよく思うことがあります。
強制でもないのに よく(我慢して)やるな〜
笑。
なんでそう思うかって
何十社も 志望動機を変えながら 「貴社が第一希望です」 全てに”手書き”で書いて 写真貼って送ったり
15歳、18歳になったら 急に現れてきた ”大人が用意してきたハードル” を超えるために
偏差値と睨めっこしながら 毎晩勉強
大人がいつもいうセリフは
「それがあなたの将来のため」
生まれてきた時は 可愛い赤ちゃんが
自分のもとに 五体満足できたきてくれたことに
感謝〜って言ってた大人たちが
顔つきを変え始め
次々に ”年齢別”に 出してくる 「この年齢になったらこれを超えてください」(でないと落第生です)
とバーを用意してくる。
怖いってw
勝手に子供に対しての”要求”を追加していき、認める認めないと強いているのは 大人だ。
生まれた時は 可愛がっていたのに これをしないと愛してあげない、とばかりに変わることを強いられる。
子供は試験を用意してください、なんて言ってないのに
勝手にそんなイベントを用意して
いざ 不合格になったら
世間的には 「頑張ってない」 になる (勝手に残念だった子という レッテル貼られる)
もしくは 合格した子だけ「おめでとう! 頑張ったね!」と言われる
大人になるとき みんなある種の十字架を担がされる
頑張っているように見えなきゃいけない。
これ、ポイントは そう見えなきゃいけない って言っているだけなの
パフォーマンス 「題:私は頑張っている人」 でしかないの。
それは 別に頑張りたいことでも なんでもないから、
でも大人たちが
それを頑張ってないと 認めてくれないから
やっている にすぎない。
親の前で そのパフォーマンスをすることが
赤ちゃんの時 自分が望んだ 子供達の姿なのかなぁ
大人たちは考えなきゃいけないよ
親の顔色をうかがっちゃう子は、 もれなく
「無理やり塾に行かされたけど 大人になった今は感謝している」 とかいうよ。
でも それを真に受けないでほしいな、大人なら。
無理やり 何かをやらされていた時間が
もしかしたら 学校以外の、受験・就職戦争以外の世界に 視野を広げて、
そのさきで 何かに出会い、それが生きがいになることができたかもしれないもの。
だからね、 それは 自己満足でしかないんだよ。 合格したら いい(親の役割完了) って思うのかもしれないけど
就職したら いい(親の役割完了) って思うのかもしれないけど
それじゃあ 大人が仕組んだレールに しっかりハマった子だけが 価値ある子供になっちゃうぞ
求めていることに応えただけだ。
上から求められていることと(自分の思いや意見が)違ったら
それは悪いことなのでは?やってはいけないのでは?
そもそもそんな考え持っちゃいけない、思っちゃいけないことなのでは?
質問してはいけないことでは? となってしまうのは 至極当然では?
「私はなんのために生まれてきたんだろう?」
これは 不合格の子と不採用だった子だけが持つ 大人への問いではない
合格し続けてきた子供だって 思っている という事実を忘れちゃいけないし
なんなら 私たちだって 子供の頃そう思っていたのでは?
あの時 暗記ばっかに取り組んでいないで
夜に塾でひたすら問題を解いていないで
別の道を歩んでいたら?という問い それは もう一生体験することできないから、比べようがない。
多様性の排除
英語では What are your dreams? って聞かれるんだ。
複数形です。
でっかく一つのことだけ、ってバイアスかけないであげてね。
小さいことでも たくさん持っていいんだよ。
ま、 そう思って 日本の変なシステムから抜け出した子供が
私なんだけどねw
ワハハ。
目が二つ、鼻が一つ、耳が二つ、口が一つ、両足あって、指が両手で10本
そんな 健全な子供に感謝していた私たち。
それで生命体としては十分よ。
これ以上 追加で 何かありますか?
子供達が成長する道は 必ずしも 大通り 一本 じゃないぞ。
角を曲がってみる子供だっているし
その角を曲がった子供にしか 見えない世界もあるでしょう?
前に進むためのエネルギーを 自分できちんと生産できる身体に育ててあげていれば
あとは大丈夫。
子供を信じてあげてほしい。
どの子の 未来も 明るい んだ 本当は。
勝手に決めつけないでね💖
そして、これを見ている女性の皆様
途中経過がどうであってもいいのだ。 どこに辿り着くか?
最初から逆算して 決めなくてもいいの。
なんかわからんが 私はエネルギーがあるから乗り越えていける
そう信じている人に
選択の自由がある✨
んだよ
そしたら理想はどんどん自分で手繰り寄せていける。
そんなもんだ💖
SHINO
今回のブログもハッと気付かされる内容でした。
卒業や入学が近くなるこの季節、制服を着て学校から出てくる子供たちを見ていると、“この子たちは、楽しく生活しているのだろうか?”と考えることがあります。
保育園の時は無邪気に夢を語れたはずなのに、小学校、中学校を進級していくにつれ、将来の自分、夢、なりたい自分、先を想像することが難しくなっている子が多いように思います。それは私も含めです。
それは年々、将来の自分に期待できなくなっていったからなのかな?
でも、なぜ?自分に可能性を感じれなくなっていくのか?まで、わかりませんでした。
ですが
オーナーがブログで書いていたように、“大人が用意してきたハードル”を越えれたかった分、“不合格者•頑張りが足りなかった子”と評価された続けた末の結果なのかな。と思いました。
次回のブログも楽しみにしています。