上の画像は 盲目の人の事情を訴えたメッセージです。
It's beautiful day, and I can't see it.
これは二つの事象を並べています。
今日は天気がいいね。 と
私はそれを見られない。 を。
ここで注目は、この二つの現実を
but (でも)で 繋げないで and(そして) で 繋げていることなのだ。
天気がいいけれど 私にはそれが見えない。
ではなく
天気がいい、 そして 私にはそれが見えない。
並列(and)であえて並べてみると 二つの現実が互いに延長線上にあるスムーズな事象ではなく
凸凹があることに気づく。
よくある英語の手法だが、これは自分自身を認知する時にとても使える。
ラジオでも話しているが、日本語話者にとって
第三者的に自分自身を観察し、
そして、物事に対して当事者意識を持つ ということは苦手視点だ。
例 「給食でPUFA食がでてくる」(日本語認知)
→ 私はPUFA食を給食で食べる(英語的認知)
前者は そういう状況に呑まれている自分というニュアンスだ。
後者は 自分でそれを許可した、または選んだ、というニュアンスが入る
自分がやらなければならないことをはっきりさせるには、
まず一番最初に
状況に呑まれ続ける自分
から脱出すると
決めることだ
よくみるじゃないですか、文化的な背景からこういうポスター
※日本語訳は この英語的センスを台無しにしているのでみなくて良いですw
I am a child, (and) I have a child.
あえて同じ路線で今ある現実をふたつ並べることによって、
読み手に
二つの現実が乖離(違和感がある)していることを自発的に気づかせるって手法。
(これを でも(but) で繋げちゃいけないのだ。慰めや言い訳にしかならないから。)
この手法を使って自分を省みてみると、自分が何を手に入れなければならないかが見えてくる。
私は母親だ そして 子供の身体についてよく知らない
子供に予防接種を受けさせている そして 予防接種のことをよく知らない (or 無料での情報しかインプットしていない)
私はアトピーでステロイドを常用している そして ステロイドが体に何をしているか知らない、または アトピーの原因を知らない
私は世の中で推奨されている食事法を全て取り入れている そして 毎日エネルギーがない
私は大の大人だ そして やるべきことを自分で決めるのではなく、組織や団体の指示を最優先にしている
もっと自分自身を大事にしたい そして みんながやっていることを自分もやらなければいけない
若い子もいけますよ。
私は大学生だ そして先生に目標を決めてもらっている
私は五体満足だ そして毎日部屋に閉じこもってオンラインゲームをしている
ってな具合に。(笑)
これ一回やってみてほしい。
最初嫌かもしれないけれど。
でもねやってみたら 安心すると思うよ。
なんで?って 心の中で薄々感じながら(現実を認めたくなくて)自分で否定してきたことだから。
そして 自分の可能性 (のびしろ)がちょっと見えてくるのよ、不思議なことに。
自分で自明にしちゃった方が 実は楽なの。
今日はいい天気だな そして 私は今日も家の中にいるな(なぜならすぐ疲れちゃうから)
ってね。
客観性は 自分迷子を救います。
現実を望む方向に動かせる人は 自分の気持ちと行動の乖離に敏感だ。
乖離をなくすことが 自分への愛である。
SHINO