3年前に 始めていたことがありました。
養鶏と田んぼ、あとは土地の確保、水の確保

今は大体3~4個の卵を毎日収穫してます。
田んぼでできた稲の米ぬかが主食です。
3年前、こんなことやっている と周りにいうと ほとんどの人が
「なんであえて現代でやっているの?」
という目で私を見てきました。 ナニイッテルカワカリマセンと言いたげでした。
この言葉の後ろには
「こんな便利になった世界で?」
「大変なことをあえてやるの?」
「お金ですぐ買えるじゃん」
という考えが 透けて見えていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
3年後の先日、 ある人からメッセージがきました
「卵やお米、水道代もどんどん高くなってきてしましました。お米はもうすぐ2倍の値段になりそうです。
家内が卵が余っていたら分けていただけると助かると言っております。
あなたが自給自足の道を耕し続けたことは、素晴らしいことです。」
3年後を考えて、今なにをすべきか判断している。 それは間違ってなかったと思う。
そして、「今の状態」が未来も変わらず続く、と自然の理に反した妄想を持っている人は
今頃になって どんどん変化する生活水準への対応に追われているのかもしれない。
でもその対応に追われている間に、次の3年後ににょきっと出てくる問題の種は成長し始めている。
日本人の場合は
自分にとっての正解よりも、「みんなにとって同じ正解」を一つ探り出す方が安心という傾向がある。
そしてその みんなにとって正解 は 数としてでしかない。
周りに 自農をやっている人よりも やってない人の方が多ければ
そちらへ行くし、 それがなぜか自分と同じような人が多いから安心とすり替わる。(状況と心理が混在)
私の場合、自分の判断ということでの正解を求めたわけではなくて
それよりも 自然の理(ことわり)にとって正解に したがっている。
そのほうが より大きなパワーだから。
私が素晴らしい、のでは決してない。
自然は確実な 明確な 答えを人間に見せてくれる。
それが 私にとっては軸となる考えで
ずっとその場に君臨し続ける 一本松のような存在なのです。
