あっという間に 9月ですねぇ。
Blogの期間が空いてしまいました。
その間に Sculptured Loveの第一回 が配信されましたね。
第一回は外せない歴史についてでした。
植物を観察するとしても、完成形だけをひたすら眺めたって何もわからないですよね?
どのような変容を経て、この形になったのか? を見ようとしないと始まりません。
この見方を歴史に移すと、
現在とは、過去が変容しながら現れた一つの「形」
だから過去を正しく眺め直すことは、現在の意味まで書き換えることになる のですよ。
受講された女性の皆さん、「現在のあなたが過去の人々から渡されたバトンの意味」変わりましたか?
このバトンの方向性のまま、未来を発展させていきたいですか? 「輝く道」だそうです!(皮肉ですw)
さて、続くChapter2 は あってもなくても変わらないのか!?「美しさ」についてです。
美とは、現実から逃げるための飾りではなく、世界の中にある秩序や調和を感じ取る能力を育てるもの です。
美を失った社会では、人間を律するために、別のものが必要になってきます。
規則、監視、マニュアル、罰則、数値、評価、アルゴリズム——。
外側から人間を監視・管理しなければならなくなる。
逆に、美的感覚のある人が集まっていれば、もっと内側から働く秩序があります。
「それは法律違反だからやらない」以前に、
「そんなことをする人間は醜い」
という感覚があること。
ここはかなり重要で。子供の人格形成にもかかわりますね。
「卑怯なことは醜い」
「横暴な振る舞いをしない」
「食卓をきれいに整える」
「言葉遣いを整える」
「人を粗末に扱わない」
「家や庭を荒れたままにしない」
これらは全部、法律ではありません。
でも 昔は 各々の美意識によって静かに維持されてきていた、私たちの文明を形作っていた要素です。
美と刺激は似ているようで正反対です。
美は「もっと見たい」と思わせながら、こちらを静かに落ち着かせ整えていく。
刺激は「もっと欲しい」と思わせながら、焦燥感と共にだんだん満足できなくする。
あなたが触れているものは、本当の「美」でしょうか? それとも「刺激」でしょうか?
美しい庭、美しい食卓、美しい言葉、美しい音楽、美しい所作——
こうしたものを「どうでもいい飾り」として社会から削っていくと、
その空白を、より強い刺激や消費が埋め始める。
不思議ですね🫢
枯渇させているのは 自分たちなのに、 その穴をさらなる消費や刺激で埋めようとするのですから。
インスタでは「STOP 日常の無価値化」と出しましたが
そうですよ、心が整う美しさや調和 は その場にいてこそ感じるもの。
「写真の中の世界の完成度」では「日常の満足度」は保証されないのです。
朝起きる。
洗濯する。
昨日の残り物を食べる。
子どもの話を聞く。
庭の草を抜く。
近所の猫に話しかける。
夕方になったので夕飯を作る。
本来、人間の人生の大部分はこちらです。
ところがSNS的な尺度では、「投稿するほどのことではない」。
この言葉は実はかなり恐ろしい力を持っていますよ。
※ 私 ↔ あの人 の比較から
※ 昨日の私 → 今日の私 → これから形になっていく私 の楽しさを得ていきましょうか。
Chapter2 で さらなる「気づきの視点」GETしていきましょう❤️

さて、ドタバタな夏の記録を少し。
突然の叔父の入院→葬儀によって 混乱しながらも (静岡〜宮城間 車移動耐久戦 8時間なり。汗)
今年も別荘にゲストを呼んで過ごしたり、
前々から行きたかったジオラマ展示を見に行ったり
(TVチャンピオンで有名になったジオラマ作家の山田拓司さんは浜松出身)

SLにピッタリ❤️
あ、そういえば 自分の誕生日もありました(忘れてた。なんたって、誕生日が叔父の通夜だったから 汗)
自分は自分の誕生日を結構蔑ろにしがち でも 周りからプレゼントをいただいたり、お菓子をいただいたりで
やっと本人実感する始末。。。笑

創設当時から 六角の大事なマスコットキャラ!? というか 唯一私に突っ込める!?杏ちゃん&息子
今年も遊びに来てました。 今年の手仕事講座は「刺繍」

ガードレールのない山道を通ると 生きていると感じますw
個人的勉強の方も ま〜盛りだくさんで
前回出したKen Wheelerの書籍読んだり、
今は プラトンは古代の人じゃないって結論に導いたフォメンコの歴史の真実の本を読んでます(笑)
16世紀の印刷技術の発展で 歴史や考えが改竄された、っていうのは
Sculptured LoveのChapter2でも出てくるところですね!
そう ほとんどの私たちの世界の眺め方の視点は 16世紀くらいに「強制、矯正」されたのです。。。汗
そればっかりじゃあ 頭休まらないので、
リラックス用には 獅子文六の「悦ちゃん」・「沙羅乙女」とか「ナルニア国物語」とか読んでましたw
まぁ 勉強が深まるごとに つくづく思うのはですね
なんて私たちは 不毛なことをしている 信じているのか ってことですね。。。
たとえば、床に映った影だけを見て、
それを「ものそのもの」だと思っているようなものです。
影の形が気に入らなければ、
影の一部を消そうとする。
足りないと思えば、そこへ何かを書き足そうとする。
けれど、どれほど影に手を加えても、
影を生み出しているものそのものは変わりません。

なぜなら、影は原因ではなく、
そこに何かがあることによって現れた「現象」にすぎないからです。
大事なのは
影そのものを追いかけるのではなく、
「この影を、この形として現れさせているものは何か?」
と問うこと。
現れたものをいくら操作しても、
それを生み出す力には届かない。
影そのものには、力はないのです。
ポテンシャルを持っているのは、影ではない。
影を生み出している実像なのです。
影だけを見て、その影だけを消そうと頑張ることを
対症療法 (または標準治療 )という。
でも消しても消しても 出てくるでしょう? その影 (現象) は。
※ちなみに物質は全て影ですw ポテンシャルは別にあるのだ。。。(六角新エネルギー論)
なので お金の数字だけ見てもしょうがないのだw
影ばっかり追って、見続ける生活に飽きた人w
この指止まれ!ってことで❤️
私は 伝えておいた方がいいことを 伝え続けていきたい。
みんな 人生の時間を無駄にしたくないでしょう?
こっちの世界 楽しいよ。
2026年後半も 頑張っていきます!
