大人が失った余力を、子どもが自分の人生で補っている
イギリスの貧困家庭を取材したドキュメンタリー『Dispatches』を観ました。
この番組は、貧困の中で暮らす子どもたち自身の言葉を通して、彼らの日常を記録したものです。
舞台となるのは、名門大学やハイテク産業で知られるケンブリッジをはじめとするイギリスの町々。
一見豊かに見える社会の中にも、食料支援に頼り、電気やガスの残高を気にしながら生活する家庭があります。
ある家庭では、暖房をつけたいという子どもに、母親がガスの残高が足りないからつけられないと答えます。

外の気温は氷点下。
光熱費の支援を受けられなかった母親は、携帯電話を質に入れることまで考えます。
子どもは、コートを着たまま寝ればいいと提案します。
このドキュメンタリーを観て、私が特に考えさせられたのは、経済的な貧困そのものだけではありません。
親の健康状態が不安定になることで、子どもが親の不安定さを補う役割を引き受けてしまっていることでした。
8歳の娘が、母親の精神状態を背負っている
ケンブリッジで暮らす8歳のコートニーは、母親と5歳の弟と暮らしています。

母親は精神的な不調を抱え、薬を服用しながら生活しています。
ある場面で、母親は自分の精神状態について娘に説明を始めます。
病のせいで 一日のうちに何度も気分が変わることを伝えます。
幸せだったかと思えば、悲しくなり、怒りっぽくなり、また気分が変わる。
母親は紙に線を描きながら、自分の気分の不安定さを娘に説明します。
親が自分の病気について子どもに説明すること自体は、決して悪いことではないのですが。
しかし、問題はその先にあります。
母親のペンを取って、今度はコートニー自身がより詳しく母親の不安定さを説明し始めたのです。

ここで感心してはいけません。
母親の病気を理解することと、子供が母親の精神状態を”背負う”ことは、本来別のことです。
この家庭では、 娘が母親の不安を受け止める場面が何度も登場します。
母親の病気を理解することと、子供が母親の精神状態までをも管理しようとすること
その境界が この親子の間では とても曖昧になっているように見うけられました。
子どもが親の機嫌を読むということ
「子どもが親を思いやること」と、「子供が親の精神状態に責任を感じること」は、違います。
例えば、母親の機嫌が悪いとき、子どもが静かにしている。
母親が落ち込んでいるとき、子どもが明るく振る舞おうとする。
母親が怒り始めると、自分が何か悪いことをしたのではないかと考える。
そして、母親の表情や声の調子から、その日の機嫌を予測するようになる。
このような生活が続くと、子どもは自分の気持ちよりも、親の気持ちを優先することに慣れていきます。
「今日はお母さんの機嫌がいいだろうか」
「今、これを言ったら怒るだろうか」
「どうすればお母さんが落ち着くだろうか」
本来、親が子どもの状態を観察し、必要に応じて支えるはずの関係が、逆転してしまうのです。
特に、子どもが親の感情をなだめたり、親の精神的な支えになったりする状態は、情緒的な親役割化と呼ばれます。
もちろん、家族の中で互いを思いやることは自然なことですが。
問題になるのは、子どもが自分の年齢や発達段階を超えた責任を、継続的に負わなければならない場合
子供は十分な成熟の時間を与えられないまま、大人のように振る舞わなければならなくなります。
つまり、生きるのに過酷な環境だからこそ、自分を大きく見せようとしなければならないのです。
ヤングケアラーは、家事や介護をする子どもだけではない
近年、日本でも「ヤングケアラー」という言葉が知られるようになりましたね。
ヤングケアラーとは、
本来は大人が担うと想定される家事や家族の世話などを、日常的に行っている子どもたちのことです。
病気の親の身体を支える。
幼い兄弟の面倒を見る。
家事を代わりに引き受ける。
こうした目に見える役割だけでなく、
精神的な不調を抱える親の感情を支えることも、ヤングケアラーに背負わせます。
コートニーは、学校にいる間、「家庭で何が起きているのかわからず不安になる」と話します。
さらに、母親に恋人ができてほしいと願う理由を尋ねられたとき、
彼女は、お父さんがいれば母親が病気になったときに自分たちの面倒を見てもらえるからだと答えました。
”maybe get a boyfriend, so if u get sick, he can take us”
まだ8歳の女の子が、母親の健康状態だけでなく、
母親の状態がこれ以上悪くなった場合の生活まで心配しているのです。
子どもが親を大切に思う気持ちは尊いものです。
しかし、その親を思う優しさに頼って家庭を維持することが当たり前になってしまえば、
子どもはいつ、自分自身のことを考えられるのでしょうか?
父親はうつ病、娘は人生を左右する試験を控えている
同じドキュメンタリーには、15歳のダニエルという女の子も登場します。

彼女の父親はうつ病を患い、精神状態が悪化して入院したことがありました。
母親も精神的不調を抱え、両親とも仕事を休まざるを得なくなります。
両親の関係は悪化し、別居、
それまで暮らしていた家を維持できなくなった家族は、仮住まいでの生活を余儀なくされました。
そんな中、ダニエルはGCSEという、イギリスの中等教育修了資格試験を控えていました。
この試験は、その後の進学や職業選択にも関わる重要な試験です。
本来であれば、落ち着いた環境で勉強に集中したいけれど、
彼女の頭の中には、「父親の病気」、「母親の精神状態」、「家族の現状」、
そして「将来の生活への不安」がありました。
父親は自傷行為を繰り返し、自殺を考えるほど追い詰められていました。
ダニエルは、父親がいつか自ら命を絶ってしまうのではないかと心配しています。
彼女自身も精神的に追い詰められ、自傷行為や自殺を考えるようになっていました。
そして、以前より勉強に集中できなくなり、成績も下がってしまったと話します。
最終的に、GCSEでは思うような結果を得られませんでした。
もちろん、試験結果を家庭環境だけで説明することはできません。
しかし、親の精神状態を心配しながらやらなければならないことに追われる子どもと、
安心できる家庭環境でそれに集中できる子どもでは、置かれている条件が大きく異なります。
大人の健康状態は、大人たち自身の問題だけでは終わらず、
子どもたちにも 「目の前のやるべきことに集中できない」毎日を与えます。
最も見えにくい貧困は「家庭の余力の不足」
貧困というと、私たちは、「収入が少ないこと」「十分な食べ物がないこと」「住む家がないこと」
などを想像することが多いと思います。
しかし、家庭にはお金以外にも、日常を維持するために必要な資源があります。
身体的な余力。 働く、料理する、掃除する、子どもの世話をする力。
精神的な余力。 自分の感情を調整し、問題に落ち着いて対応する力。
人間関係に注ぐ余力。 子どもの話を聞き、見守り、家族を見守る力。
これらは、家庭の生活を支える大切な資源です。
そして、健康を損なうと、こうした余力も同時に失われていきます。
家族のために料理や掃除をすることも難しくなります。
精神的に不安定であれば、子どもの話を落ち着いて聞くことが難しくなり、煩わしいとさえ思うでしょう。
「自分の不安定さをなんとか安定させようとすること」と
目先の仕事などで得られるお金や利益にエネルギーを注ぐだけで
家族は自分の余力が出た時に対応すればいい存在ともなってしまいます。
収入や貯蓄だけでは測れない このじわじわと積み上がっていく「損失」が
生活を立て直しにくくなる理由の一つとなるのです。
親が失った余力を、子どもが自分の時間や精神的なエネルギーで補っている。
母親の精神状態を気遣うコートニー。
父親の鬱を心配しながら試験勉強をするダニエル。
彼女たちは、親が担いきれなくなったものを、
自分自身の時間や心の余裕を使って補おうとしているのです。
親が失ったものを、子どもが代わりに差し出している。
このドキュメンタリーは「子供の貧困」をテーマにしていますが、
私は違うように思いました。家計簿のような数字の上下では測りきれない子供の損失があります。

子どもが親の顔色をうかがう時間も、
親を心配して眠れない夜も、
やらなきゃいけないことに集中できず失った機会も、数字は表してはくれません。
「健康を失った家族」と「貧困」は、互いに手を取り合っているのです。
このドキュメンタリーには、病気や家族の死によって生活が大きく変わった家庭も登場します。
ある家庭では、娘をがんで亡くした母親が、看病のために仕事を休み、収入が途絶えました。
さらに葬儀費用の負担も重なり、それまでの生活を維持することが難しくなっていきます。
また、ダニエルの家庭では、両親の精神的な不調が就労を難しくし、住まいを失う一因となりました。
健康を損なうことで、働く力が弱まり、収入が減少する。
収入が減れば、十分な食事や暖房、安定した住居、休養を確保することが難しくなる。
そして、そのような生活環境が、さらに心身の健康を損なう 悪循環です。
「自分の健やかさ」に責任を持つことも、他者への愛情である
一人で暮らしている間は、自分の健康状態が多少不安定であっても、何とかやり過ごせることがあります。
気分がむしゃくしゃしていたり、落ち込んでいたなら
一日中寝ていてもいいし、何もしたくなければ家のことを後回しにすることもできます。
誰にも会わず、誰とも話さず、自分だけの調子に合わせて生活することもできるでしょう。
しかし、結婚してパートナーができたり、子どもが生まれたりすると、そうはいかなくなります。
それまで自分一人の問題として扱えていた健康の不安定さが、隠しきれなくなるときが来るのです。
自分の気分が落ち込んでいるからといって、
子どもの食事や家族の世話を何日も後回しにするわけにはいきません。
あなたが疲れているからといって、
あなたの周りの人たち全員が あなたの顔色を常にうかがい、
機嫌を損ねないように暮らさなければならないとしたら、それは健全な家庭の姿とは言えないでしょう。
家族なのだから、不調な自分を理解してほしい。
家族なのだから、ありのままの自分を受け入れてほしい。
そう願う気持ちは、理解できます。
しかし、ここには大切な区別があります。
家族に自分の状態を理解してもらうことと、
自分の不安定さを家族に引き受け背負ってもらうことは、同じではありません。
とりわけ子どもは、親の不安定さを引き受けるために存在しているのではありません。
不安定な親から育って、その負債を背負って大人になった人は とても心の傷を抱えていることを
私はカウンセリングを通して知っています。
大人の調子に合わせて子どもが振る舞いを変えなければならないのではなく、
まず大人である親自身が、その不安定さに向き合う必要があります。
自分はなぜ疲れやすいのか。
なぜ感情の起伏が激しくなるのか。
なぜ体調が安定しないのか。
自分の状態を理解し、立て直すためにやるべきことを 六角のカウンセリングでは提案しています。
それは、決して自分一人ですべてを解決しなければならないという意味ではありません。
薬や娯楽やスクリーン画面で「誤魔化す」のではなく
自分自身が主体的に行動することが大切です。
家族の優しさに甘えることと、家族の優しさを当然のものとして消費し続けることも違います。
子どもが親の機嫌を読むのが上手になったことを、成長だと喜んではいけません。
それは、子どもが安心して過ごすために身につけた、生き延びるための習慣かもしれないからです。
家庭を持つということは、自分の人生に他の人の人生が深く関わるようになるということです。
そして、親になるということは、自分の健康状態や日々の振る舞いが、
子どもの心や生活、さらには将来にまで影響する立場になるということでもあります。
だからこそ、自分の健康を整えることは、単なる自己管理や自分磨きではありません。
それは、ここでお伝えしたような「貧しさ」から家族を守るための責任であり、愛情の一つの形でもあるのです。
家族に自分の不安定さを受け止めてもらうことばかりを求めるのではなく、
家族が安心して暮らせるように、自分自身を立て直していく。
子どもに親の人生を背負わせるのではなく、親が自分の人生を引き受ける。
大人自身が 自分の健康を失った、その先で
子供がその負を引き受けようとする場面に
何度も心が締め付けられたドキュメンタリーでした。
※この番組自体は、2019年に放送されたものです。そこから7年経ち、子供の貧困状態と大人の不健康状態は
変わらず、むしろ年を追うごとに悪化していると私は思います。

