年配の人と話すと、まぁよく言われるセリフがあります
「お前は右寄りか?左か?」
「どこの政党を支持している?」
「無政府主義者か!?」
「〇〇派か!?」
などなどw
えっと、それ聞いて何になるの?と思うんですよ。
それがあなたの”全て”の判断基準なの?と。
人1人にとったって言葉ひとつで片付けられる物ですかね?
複雑化することが
”成熟するということ”なのに
どこかにカテゴライズする”単純化”を望むなんておかしいね。
根底にはね、自分と反対の人を攻撃する気持ちがあるんだよ。
でも、なぜ攻撃したくなるんだろうね?
自分に本当に軸があるなら、
自分と違う意見の人をターゲットにして
自分の考えを”パワーでひれ伏せて”懇々と聞かせることも
自分の正しさや正義を振りかざすことも
汚い言葉や、周りくどい皮肉で貶すことも
しない。
自分には自分主観の正しさ
相手には相手主観の正しさ
があるだけ。あるだけなんだよ。
紅組と白組に分かれることになりました。(無理やり、です。)
一組と二組でもいいですがw
で、
相手が敵だって誰が言ったの?
戦えと、誰が言ったの?
対のものが存在したら、あなたと反対の生き方をする人が存在したら
”じゃあ戦え!!”のサインではないんだよ。
女の人の場合、その対はお母さんだったりする。(鏡の中の自分)
意見が対になってやっと
真実(あなたなりの答え)への糸口が生まれるのに。
それはあなたの持っている考えをブラッシュアップする機会になるかもしれなかったのにね。
誰かを非難したり、批判したり、時間の無駄だと私は思う。
粛々と自分のやるべきことは何か、にフォーカスして
絶望の中に希望を作るんだよ、自分たちの手で。
希望と絶望。
対になって初めて
”あなたはどうありたい?”なんだよ。
キラリティーだらけな世の中だって。無理やり重ねることなんてしなくていい。
ただお互い存在している、それにいいも悪いもない。
Shino