―身体はトーラス体ー から考える、若さと老いの身体感覚

手先足先などの「末端意識が強い身体は、老いた縮んだ身体である」
初めて聞いたとき、少し極端な表現に思えました。
しかし身体の使い方や人の動きを観察していると、
この言葉には深い洞察が含まれていたことに
最近気づきました。
エーテルのこともこの理解度を深めることに役立ちました。
私たちは身体に不調を感じると、
- 肩こりを何とかしよう
- 首の緊張を取ろう
- 膝を守ろう
- 指先をもっと器用に動かそう
と、身体の「部分」に注目します。
もちろんそれ自体は悪いことではありません。
しかし、人間の身体は本来、部分の寄せ集めではなく、一つのまとまりとして機能するようにできています。
老いとは「部分化」のプロセスでもある
年齢を重ねるにつれて、(六角的にいうと、糖代謝が潰れている身体のまま歳を重ねていくことを指します)
- 関節は硬くなり
- 呼吸は浅くなり
- 痛みは増え
- 不安も大きくなります

すると意識は少しずつ身体のパーツへ向かうようになります。
膝は大丈夫だろうか。
肩は凝っていないだろうか。
足元は危なくないだろうか。
身体全体として動くよりも、部分を最適化し、管理することに意識が向いていくのです。

その結果、
- 猫背になる
- 歩幅が狭くなる
- 動きが小さくなる
いわゆる「縮んだ身体」が さまざまな角度から生まれていきます。
(脂質代謝により、身体の弾性が失われると、さらに縮んでいく現象を引き起こすということです。)
身体の代謝的には”糖代謝”が大きな柱ですが、
構造的な柱は ディープフロントラインという深層のラインを働かせた張力です。

言い換えれば、身体の「中心軸」ともいえる存在です。
これらがうまく働いていると、人は深いところから支えられます。
すると肩を固める必要がなくなり、首を緊張させる必要もなくなります。
末端が頑張らなくて済むのです。(どこがキーポイントになるか?はラジオでお話ししましたね。)
中心が働くと、末端は自由になる

優れたスポーツ選手や武術家、ダンサーの動きを見ると共通点があります。
手先が器用なのではありません。
足先が強いのでもありません。
身体全体がつながっているのです。
中心が安定しているから、末端は自由に動ける。
反対に中心が失われると、
- 顎を噛み締める
- 肩をすくめる
- 指先に力を入れる
- 首を固める
という代償が始まります。
身体はますます縮み、動きは小さくなります。
東洋思想が重視してきた「腹」
この考え方は、東洋の身体観ともよく重なります。
武術や禅では古くから、
- 丹田
- 腹
- 腰
が重視されてきました。これを読んでいるのは日本人であると思うので
みなさん、この「腹」というものが「腹筋」ではないことは
感覚的に知っていると思います。
達人ほど手先を意識しません。
意識は身体の中心にあります。中心の張力で支えています。
結果として手が自由になります。
中心が先で、末端は後。
これは現代の筋膜理論とも共鳴する考え方です。
目指すべきは「透明な身体」
去年公開した 六角の講座”Sculptured Love”では
捻じ曲げられた現代論から導かれた答えではなく、
人間が「よく生きること」について考える中で、とても興味深い身体観もお伝えしました。
私たちは本来、身体そのものを意識しながら生きているわけではありません。
庭仕事をしているとき。
友人と語り合っているとき。
音楽を演奏しているとき。
美しい景色を眺めているとき。
私たちの意識は身体の外に向かっています。
世界に向かっています。
そのとき身体は消えたようになります。

閉じこもっていた”Me(私)”から 外側の空間と共鳴し、自由になるのです。
ところが身体に痛みや不調が現れると、意識は世界から また”Me”に引き戻されます。
腰が気になる。
首が気になる。
膝が気になる。
すると関心は少しずつ外の世界から自分自身への固執に向かい始めます。
身体が縮むとは、単に姿勢の問題ではありません。
世界との関係まで縮んでいく現象なのです。
”健康な身体は自分自身を忘れている”
もちろん身体は存在しています。
しかし意識の中心にはありません。
身体は透明な媒介として働いているのです。(水の構造と繋がりますね!)
若々しさとは「世界へ向かう力」
若々しさとは筋力のことではありません。
柔軟性のことでもありません。
若さとは、
身体が一つに統合されていることによって、世界へ向かって開かれている状態
なのではないでしょうか。
子どもが若々しいのは、ガチガチの身体に閉じこもっていないからです。
故に自分の肉体を意識の中心と置かないからです。
故に目の前の出来事に夢中だからです。
花を見ている。
虫を追いかけている。
友達と遊んでいる。
意識は常に世界へ向かっています。
PUFAの邪魔がない健全な身体はそのための土台として静かに働いています。

身体を整える本当の意味
だから身体を整えるとは、単に痛みを減らすことではありません。
肩こりをなくすことでもありません。
それはあなたが再び世界へ向かうための準備です。
呼吸が深くなる。
足裏が地面を感じる。
骨盤が安定する。
身体の中心が目覚める。
すると末端を管理し続ける必要がなくなります。
身体は再び一つにまとまり、私たちの意識は外へと開かれていきます。
健康とは、自分のことばかり眺めなくて済む状態なのかもしれません。
そして本当の若さとは、
身体に閉じこもることなく、世界との関係の中で生きられること。
そのためにこそ、蜂蜜療法を筆頭に、身体の中心を取り戻す営みには大きな意味があるのだと思います。
SHINO

