SNSを開けば、世界中の人の意見が流れてきます。
ニュースを見れば、「世の中はこう考えている」「これが今の常識だ」という声が聞こえてきます。
私たちはかつてないほど多くの情報に囲まれ、多くの人とつながることができる時代に生きています。
それなのに、なぜこれほど孤独を感じる人が増えているのでしょうか。
この問いに対して、作家・評論家の Stella Morabito は興味深い答えを示しています。
彼女は、人を本当に支えるのは「情報」ではなく「関係」であり、
現代社会は私たちを輪(circle)から引き離し、群衆(crowd)の中へ押し込んでいるのではないかと指摘しています。

「常時接続」がもたらすもの
私たちは常に誰かとつながっています。
スマートフォンを開けばニュースが届き、SNSを開けば誰かの意見や感情が流れてきます。
しかし、
つながっていることと、結ばれていることは同じではありません。
むしろ常時接続の状態は、
「みんながそう思っている」
という錯覚を生み出します。
本当は一部の声かもしれないのに。
本当は多くの人が違う意見を持っているかもしれないのに、わからなくなる。
それでも繰り返し同じ意見に触れているうちに、私たちは無意識のうちに、
「自分だけが違うのではないか」
と感じ始めます。
だからこそ、時には
Step back from constant connectivity.
(常時接続から距離を置く)
ことが必要なのです。
「みんなそう思っている」を疑う
私たちは子どもの頃から、
「みんなやっているよ」
という言葉に弱い生き物です。
けれども本当に大切なのは、
Question the assumption that everyone agrees.
(みんなが同意しているという思い込みを疑う)
ことです。
みんなとは誰でしょうか。
実際に会って話した人よりも
画面の向こうに見える匿名の集団が大きく見えているのではないでしょうか。
自由な思考は、「みんな」から始まるのではなく、
「私はどう考えるだろう?」
という問いから始まります。
情報よりも対話
現代人は過去のどの時代よりも多くの情報を持っています。
しかし情報が増えることと、人とのつながりが深まることは別問題です。
ニュースを十本読むより、友人と一時間話すほうが心を満たすことがあります。
SNSで百人の投稿を見るより、誰か一人の話をじっくり聞くほうが勇気をもらえることがあります。
だからこそ、
Less information, more conversation.
(情報は少し減らして、対話を増やす)
という姿勢が大切なのかもしれません。

群衆と輪の違い
群衆は、同じ方向を向いている集まりです。
そこでは「みんながどう思うか」が重要になります。
人は空気を読み、周囲に合わせ、目立たないように振る舞います。
一方、輪は互いに向き合っている関係です。
そこでは「あなたはどう思う?」が大切にされます。
輪の中では、必ずしも全員が全く同じ意見である必要はありません。
意見が違っても関係は続きます。
なぜなら、意見ではなく信頼によって結ばれているからです。
群衆は同調によってまとまり、
輪は信頼によって結ばれます。
孤独にならないために
孤独の反対は、大勢に囲まれることではないと思います。
自分がいてもいいと思える場所を持つことです。
本音を話せる友人。
気軽に連絡できる仲間。
顔を見れば安心できる家族。
そうした小さなつながりが、人を支えます。
フォロワーが3万人いることより、
本音を話せる人が3人いることのほうが、人生を豊かにすることがあります。
だから大切なのは、群衆を大きくすることではなく、輪を育てること。
一緒に食事をする。
お茶を飲む。
散歩をする。
話を聞く。
助け合う。
そんな何気ない時間の積み重ねが、人と人との信頼を育てていきます。
私たちは知らず知らずのうちに、「もっと多くの人とつながろう」と考えてしまいます。
しかし、数値の大きさで孤独は満たされるものではありません。
群衆の中で目立つことよりも、
輪の中で居場所を持つこと。
情報を追い続けることよりも、
誰かと対話すること。
そして何より、
Don't be one of the crowd; be one of the circle.
群衆の一人になるのではなく、輪の一人になれ。
その小さな輪が、孤独や同調圧力から私たちを「一人の人間」として守り、
自分らしく生きるための土台になるのではないでしょうか。
輪は「好き勝手が許される場所」ではない
ここで一つ誤解してはいけないことがあります。
「輪を大切にする」という話は、
好きな時だけ参加し、
気が向いた時だけ協力し、
責任は負いたくない、
という意味ではありません。
むしろ本当の輪ほど、一人ひとりの責任によって支えられています。
家族でも、地域でも、会社でも、チームでも同じです。
そこに属するということは、
「自分の役割を引き受ける」
ということでもあります。
困った時だけ共同体に頼り、
必要な時には姿を消す。
自分の権利だけを求め、
責任は負わない。
それでは輪は空洞化し、成り立ちません。
群衆は匿名性によって守られます。
群衆の中では、
「誰かがやるだろう」
が通用します。
しかし輪の中では、
「私が引き受けよう」
という人がいることで関係が維持されます。
もっというと
対話ができ、責任を引き受ける意志のある人 しか輪には入れないのです。
だから本当の共同体は、
ただ所属したい人ではなく、
役割を担う意思のある人を歓迎します。
自由とは、責任から逃れることではありません。
むしろ自由とは、
自ら選んだ責任を引き受けることです。
現代だと、
「やりたくないならやらなくていい」
「自分らしく」
が強くなりましたが、
“自分の欲”ばかり肥大して、“人格”が育たないまま
大人になると 誰も輪に入れてくれません。
その人が輪に入るのが苦手 という問題ではなく(つまり人見知りとか内向的はあまり関係ない)
信頼されていないと、入れないのです。
静かな人でも、責任感があり、他者を尊重し、約束を守る人は信頼されますから。
共同体が最も嫌うのは能力不足ではありません。
予測不能なことです。
- やると言ったのにやらない
- 急にいなくなる
- 責任が発生すると言い訳をし、他人のせいにする
こういう行動は周囲を不安にさせます。
信頼とは、
「この人なら大丈夫だろう」
という安心感です。
孤独になると、人はつい
- 誰かに認めてほしい
- 分かってほしい
- 評価してほしい
と思います。
もちろん、それ自体は自然なことです。
しかし
「孤独を埋めるために群衆を探してはいけない」
と 現代の社会構造を見ると つくづく思います。
孤独のトラップに 気をつけよう。
SHINO
