戻ろうとする力に気づくと、変化はぐぐっと「自然なもの」になる。
足りないものを足すという発想
今の世の中では、何かを良くしようとするときに
「足りないものを足していく」という考え方がとても多いように感じます。
サプリメントで補い、薬で整え、筋トレで理想の身体に近づけていく。
心の面では、自己啓発本で考え方を学び、コーチングで行動の形を整えていく。
どれも一見すると、とても正しくて、前向きな方法に見えます。
でもその前提には、
「今の状態はまだ不十分で、外側から正しい形を足していくことで良くなる」という考え方があります。
安定とは“固めること”なのか
ただ、身体や心は、もう少し違う仕組みで動いているのです。
本当の安定というのは、
ずっと力を入れて支え続けることで保たれるものではなくて、
揺らぎを受け入れつつ、でもゆらいだあとに、自然と“戻っていける力”によって保たれているものです。
むしろ少し余白というか緩みがあったほうが、自然と元の位置に戻っていけるのです。
イメージ的には起き上がり小法師です。
成果という枠の中で起きること
教育やコーチングの場面でも、よく似たことが起きているように感じます。
たとえば、
「学校でいい成績をあげられるようになった」
「1ヶ月で〇〇万円儲けることができた」
そういった変化が“成果”として語られることがあります。
もちろん、それ自体が悪というわけではありません。
ただそのとき、気づかないうちに
「成績が良い=良い」「お金を稼げる=良い」「そうでない=良くない」というように、
状態がどちらかに分けられてしまうことがあります。
本当はもっと連続的で、揺れながら変化しているはずのものが、
いつの間にか二つの隔たりを作って、切り分けられてしまう。
まるでその枠の中に収まることのみが「良くなったこと」として扱われていく。
連続としての変化
でも実際には、
人の変化って、そんなに単純な枠に収まって固定される、ということを指さないですよね。
できる・できない、良い・悪いというよりも、
ただ「今どの位置にいるか」という、連続した流れの中にあるものです。
そこに無理に枠をはめてしまうと、
本来の動き方が見えにくくなってしまうことがあります。
安心のために作った枠が、
かえって自然な変化すらを否定し、止めてしまっていることが多いのです。
戻っていくという変化
本来の変化というのは、
何かを“足して完成させること”というよりも、
少しずつ“戻っていくこと”に近いのだと思います。
余計に固めていたものがゆるんでいくとき、
もともとあった場所へ、自然と収まっていく。
イメージ的には ボトックスで固めていた顔が、それらを融解することによって、その人本来の自然な表情を取り戻していく、みたいな感じでしょうか。
六角で伝え続けているのは、まさにその感覚です。
無理に形を作ることでもなく、
正しい形に当てはめることでもなくて、
すでに身体や心の中にある「自然に戻る方向」に、
そっと気づいていくこと。
力が抜けたところに残るもの
そしてその流れの中で最後に残るのは、
何かを達成したという感覚というよりも、
ふっと力が抜けるような、静かな“気持ちよさ”です。
「あ、ここでいいんだ」と、
身体のほうが先に納得しているような感じかもしれません。
六角全講座の位置付け
私の講座は、
何か新しい概念を埋め込んだり、付け加えたりするためのものというよりも、
本来の場所に戻っていく(収まっていく)流れを、
少しずつ思い出していくような時間です。
変わるというより、
回復していくようなプロセスに近いかもしれません。
形だけの「できている」を 生徒さんたちに目指させることはしません。
そんなふうに、
本来あるべき形に、ゆっくりとおさまっていくことを扱っています。
指令してコントロールではなく、
戻ることで成立する安定ってあるのですよ。

